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2020/09/21

カイロプラクティック哲学

「カイロプラクティック哲学」という言葉をカイロプラクターなら聞いたことがあるだろう。
Innate Intelligence? Universal Intelligence? 自然治癒力?

それがカイロプラクティックの“哲学”だと思ってそれに誇りを持っている人もいると思う。
そこで貴方が満足しているならそれで良い。

でも、それは本当に哲学と呼べるのだろうか?

一般に「哲学」というと「考え方」として捉えられている。
つまり先人や優れた人々によって生み出された「考え方」だと。

哲学は英語で Philosophy (フィロソフィー)だが、
その語源はギリシャ語でPhilos(愛する)+Sophia(智)で
『智を愛する』という意味合いが元となっている。

確かに先人の残した“智を愛している”のかもしれないが、
それを絶対的真理と盲信してそれに追従することは果たして『哲学』と言えるのだろうか。

カイロプラクティックは自然に基づく哲学、科学、芸術だとよく謳っている。
先人の残した「考え方」を「根拠を持って」「実践する」ことがカイロプラクティックだ!と。

『科学』とは何だろう?
客観的事実、絶対的事実、エビデンス、証明されたもの…?
個人的には、抽象概念化すること、つまり事実を抽象化して理論にすることだと思っている。

「A」と「B」の間にある感覚所与的な違い(色形、音など)を無視して
「文字」として抽象化するようなもの。
自然の世界は違いで溢れているが、
その違いを大雑把に無視して一つのものに括る作業が『科学』だ。

『芸術』とは何だろう?
技術、表現、崇高なもの…?
個人的には、共有すること、
つまり自分の抽象概念を五感を通して他者と共感しようとすることだと思う。

動植物の世界には芸術は無い。
その証拠に、犬にピカソの絵を見せても涙を流すこともなければその前にひれ伏すことがない。
入ってくる感覚所与をそのままに受け止め、生存に関わるか否かだけが重要なのだ。
(動植物には芸術の原型である原初的な鳴き声、自己装飾、フェロモンの分泌等の表現方法はあるが)

ここまででお分かり頂けるだろうか。

『科学』と『芸術』は無意識→意識、意識→無意識への変換方法であって、
相互に密接に絡み合っている。
だからレオナルド・ダ・ヴィンチは科学者であり芸術家であったわけだ。

そしてこの無意識→意識、意識→無意識を無限に繰り返すことが智を愛することであり
即ち『哲学』なのである。

そう、『哲学』とは既に出来上がっている学問ではなく、姿勢のことを表す言葉なのだ。

故に『哲学史』は学べても『哲学』自体は学ぶものではない。

ではカイロプラクティックとは何の『科学』と『芸術』を無限に繰り返す『哲学』なのか。

〈脊椎サブラクセーション〉に他ならない。

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