施術しない価値
カイロプラクティックが発展してきて、
『施術することの価値』を今までのカイロプラクターは主張してきた。
いかに施術を受けると良いことがあるか
そのキャンペーンのおかげでカイロプラクティックは発展したのだが、
同時にその“副作用”も引き起こしてしまった。
受ければ受けるだけ良くなる、やればやるだけ良くなる
という後天的な幻想だ。
施術には大きな価値はあると思うが、施術をしない価値の方がはるかに大きい。
なぜ施術をしないかというと、脊椎サブラクセーション状態ではないからである。
なぜ脊椎サブラクセーション状態でなければ施術をしないかというと、
手を貸す必要がないからである。
なぜ手を貸さないかというと、
その人がいかに偉大な力に生かされているかに気付く好機だからである。
後天的な知恵中心に生きると、
受ければ受けるだけ、やればやるだけ良くなる
という幻想が生まれる。
後天的な知恵が生命活動のすべてを運営しているわけでもないのに、
自分の体は自分(意識)が作ったものだと思い違いをする。
自分(意識)で細胞ひとつも創れないのに。
施術をしないことの価値は、
後天的なものより圧倒的に高度な先天的なもの(無意識)によって生かされていることに気付く
という計り知れない価値がある。
やたら手を出すのは不信の表れ。
できるだけ施術しないのは信頼の証。
投稿:志賀隆史