ストレートカイロプラクティックの本質を
護り、発展させ、次の世代に繋ぐ
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2020/12/27
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WHEN-いつ-

「いつ」手を貸すべきで、「いつ」手を貸すべきじゃないのか。

カイロプラクティックの価値を決定づけるのはその見極めにある。

施術業であるにも関わらず施術しないことに重きを置く理由は、その人の力を最大限に尊重しているからこそ。相手を信じていなければその人に委ねることができずアレコレ手を出し、口を出し、管理しようとするものだ。その管理は本当にその人にとって永続的な利益になるのだろうか?その管理は、誰の都合だろうか?架空の平均人を基準にした最新の管理法を目の前にいる世界で唯一無二の人に当てはめようとすることは、誰を肯定して誰を否定する行為だろうか?それがわかった瞬間に、深遠なる生命に対する自分の傲慢な態度に気づく。いかに相手を尊重するか、それが我々が「いつ」施術し「いつ」施術をしないのかに全神経を集中する所以である。その道のプロと呼ばれる人に任せれば安心である。なぜなら自分の労力を消費せずに済むからだ。しかしこれが行き過ぎると、自分自身の感覚を信じられなくなり、架空の平均人やその道のプロと呼ばれる人の意見を驚くほどに鵜呑みにする結果を招いてしまう。商業的効率を考えれば、依存させることが最善策だ。今やスマートフォンがないと何もできない人も多いのではないだろうか。おかげで今やスマホ業界関係の企業が市場価値の上位を占めている。スマホに依存しきった人はまるで、ネットの繋がらないスマホのような存在だ。自分では何も創り出すことをせず、意思決定もままならず、他人の作ったプログラムを唯々実行して消耗していく。それで困らない人は別に良い。しかし、その道のプロに依存しきった管理法でも解決しない人もいる。私からすると、一人一人違うのに架空の平均人の基準を押し付ければそうなるのは当然だと思うが、分からずもがき苦しんでいる人もいる。基本は最初に自分自身を信じ、次にその道のプロの言うことを話半分で聞けば良い。本来我々はカイロプラクティックに依存させず、本人に委ね、本人が自分のものにすることを目指すのが我々の仕事だと思うが、残念ながらそうではない人がほとんどだろう。いつ施術を受けるべきか、いつ受けないべきかは基本的にご自身で決めるもので自分自身の感覚を最優先して欲しいところだが、どうしても自分ではわからない、不安で自分で判断しかねるという場合は、カイロプラクターにチェックしてもらい自分の感覚を擦り合わせることをお勧めする。

 

新基準

 現在の主流であるカイロプラクティックは、「いつ」施術すべきで「いつ」施術すべきでないかは考えない。細かい背景は横に置いておいて、大まかな背景は先述した通りだ。極めて少数のカイロプラクターは、「いつ」にこだわって施術しないことに重きを置いている。ではその「いつ」にこだわるカイロプラクターは何を基準に施術するかしないかを決めているだろうか?基本的に昔から伝わる基準がある。背中の温度だ。その理論の背景には、神経エネルギーに脊椎上で干渉があると抵抗が生じ、そこに熱が生じるというのが1920年頃からの主張だ。未だにその理論的背景を用いているが、個人的には納得いかない。電線は自由電子が移動すると導線内にある原子核とぶつかりそれが熱となって現れるが、その導線の抵抗の理論をそのまま人体の神経に当てはめるのはいかがなものだろうか。確かに神経活動が活発になると神経の温度が上昇することは分かっているが、それは導線とは違う原理だ。神経は化学的な帯電した分子の移動によって起こる活動電位の伝導によって情報を伝えている。なぜ神経活動が活発になると温度が上昇するかというと、電線のようにそのものに抵抗が有るからではなく、代謝作用の副産物として熱が発生するということだ。つまり1920年頃から研究され使われてきた背中の温度測定は、神経そのものの圧迫による熱を示しているというよりは体表面の血流を表しているという方が尤もらしい。体表面の血流は、どれほど神経の状態を表しているのだろうか?神経の圧迫がどれほど背中の体表面温度に影響を及ぼすのか、その信憑性はまだまだ議論の余地がある。

 そこで今、新たな基準を提唱したい。私が用いているのは、厚さの違う板を左右どちらかの足の下に敷き身体機能が最大効率化される板厚を導き出し、板の無い時とある時に脳波測定器で脳活動を計測することで、脊柱管内に物理的な抵抗が有るか無いかを判断する。脳活動を電圧と考え、脊柱管内の物理的な抵抗を電気抵抗と捉え、身体機能をメンタルインパルス(生体情報)=電流として捉える。オームの法則にあるように電圧(脳活動)、抵抗(脊椎サブラクセーション)、電流(メンタルインパルス=身体機能)として置き換えることで可能になった検査法だ。文章だけによるイメージでは難しいが、具体例を挙げてどのように見るかを示していきたい。例えば立位で5kgの重りを両手で肩の高さまで持ち上げるという仕事を体に与える。それに対して板なしの状態と、左右どちらかに厚さの異なる板を敷くことで、仕事率が最大化する条件を探る。仮に右足に5mmの板を敷いた時に仕事率が最大化する(重さは同じなのに軽く感じ、迅速に持ち上げられる)とする。そこで導き出された条件と、板の無い素の条件で脳波測定器を用いて脳活動を計測する。すると以下の2つのうちいずれかの結果が出る。板に乗った時の方が脳活動が低下する。②板に乗った時の方が脳活動が活発になる。この時に何が人体内で起こっているだろうか?まずでは、仕事率が最大化する板厚の条件時に脊柱管内の物理的な抵抗が最小化し、生体情報が容易に関与器官へ伝わるようになったことで脳活動(電圧)が下がったというように考える。かつてBJパーマーが引用していたGeorge Crile MDの説、『脳が陽極で体が陰極でその電位差で電気が流れるから生命現象が起こる』という理論的背景を採用している。つまり脳活動が活発になることで体との電位差を生み出し、それによって生体情報が体へと送り込まれるという概念だ。それを鑑みると、なぜアーシングが体に良いとされるかがわかるだろう。プラスに帯電した脳からアーシングした地面へと電気が流れやすくなるからという理論だ。(実際は自由電子が陰極から陽極に向かって動くのが電気的現象として起こっているが。)この理論もまだまだ議論の余地があるが、背中の温度よりはまだ信憑性が高いと考えられる。要するには脊柱管内の抵抗が最小化したことで無理に脳の電位を上げずに済むため、この時は脊椎サブラクセーションであり施術を必要とする状態だと判断する。次にの結果が出た場合どう考えれば良いかというと、仕事量は同一で抵抗を最小化したはずが電圧が上がっている。これは板に乗ったことで図らずも抵抗値を大きくしてしまっている可能性がある。電池だと電圧が一定だが、人体において電圧は可変的である。人体では常に一定の電圧で良いわけではなく、可変的な外圧から守るために発する内圧(押し返す力)も可変であることは容易に想像できる。従ってこのときは、電圧を高くすることで大きくなってしまった抵抗下で仕事に必要なだけの電流を通そうとしていると考えられる。仕事率が最大化して見えるのは、単に電圧を上げて電流を増やしているようなもので、電位差を作り出す脳にとって必要以上にエネルギーを消費することになる。つまり本来であれば抵抗は最小限なのに、板に乗ることで抵抗を作り、無駄に電圧を上げて対応しているということだ。以上の結果のいずれかががはじき出され、すぐさまそれに基づいて判断を下すのは実は危険である。その人の一瞬だけを切り取ったスナップショットで動的である生命を判断するのは相手の力に対して完全なる信頼があるとは言えない。そこで同じ検査を時間を置いて行うことで、スナップショットをつないでモーションピクチャー(動画)的に観察することが必要となってくる。すると最初はのような結果になり脊椎サブラクセーション状態であると判断がされたとしても、次の検査ではのようになり、その人はその人の力で脊椎サブラクセーションフリーであろうとしているのがわかることがある。あくまでもその人が脊椎サブラクセーション状態にどっぷり浸かって動きがないのか、それとも偽陽性のように一見すると脊椎サブラクセーション状態だが、時間をかけて見ていくと実はフリーに向かっているということがある。

よって以上から、施術が本当に必要な時とは、最低でも2回同じ検査を繰り返し、どちらの検査結果も板に乗って仕事率が最大化して且つ、脳活動(電圧)が低下する条件が連続的に揃った時のみで、その他の条件下では自身の力でどうにかできる範囲であるわけで、カイロプラクターによる外的なきっかけは必要ないと判断する。以上が提唱する新たな検査法であり、同時に昔から変わらないカイロプラクターとしての在り方である。

板なし

板なし

板有り

板右3mm

板逆

板逆3mm

3比較

上から板逆3mm、板右3mm、板なし

板なしanalyzer

板なし

板有りanalyzer

板右3mm

板逆analyzer

板逆3mm

以上のケースでは、板なし時の脳活動が最も落ち着いており、脊椎サブラクセーションフリーだと判断される。

右に3mmの板を入れたほうが仕事率が向上したが、以上の脳活動結果から単純に脊柱管内の抵抗が大きくなりそれを電圧を高くして対応しているだけであり、カイロプラクターからの外的なきっかけは必要ない。